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蒸し

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 今日は曇っていたが蒸し暑い1日だった。 最近、空なかなか晴れない。先週までヨーロッパにいたのもあり、この蒸し暑さは本当にアジア圏の夏の気候なのだと強く実感する。 でも朝霧のかかった山は美しい。山に霧がかかっただけなのに、自分が人間ではなく、霊的なものになったような独特の浮遊感がある。 大学の古美術研究会に参加して奈良寮に泊まったとき、朝早く起きて近くの神社を歩いたときのことを思い出す。 ひとりになる時間を求めている。 最近はずっとアトリエにひとりだけど、ひとりでいても、霧のかかった山を見たときの感覚とか、それに近くてどこか景色に溶け込む瞬間というかそういうものを求めている。 湿度のことについて思ったのでそれについて考えながら書こうかと思ったけど、また今度ゆっくり考えながら書いてみよう。 さっきから窓に何かの虫がぶつかる音がするんだけど、振り向いた瞬間音が止むのでやっぱり向こうからもこちらが見えているんじゃないかと思う。 なんの虫だったんだろ。

日記をつける

 今日から日記をHP上に書くことにした。 ノートや紙に書くのではなく、もしかしたら誰か見ているかもしれないという状況下で残しておくことで日々の経過や自分のことをもう少し俯瞰して見られるのではないかと、やってみることにした。 もう2024年も半年が過ぎているのに、自分があやふやなまま進んでいることへの不安さも同時に残しておく。 最初何書いたらいいかわからないので、覚書として先日読んだハン・ガンの「別れを告げない」のことをちょっと書いておこう。 別れを告げない、というタイトルについて朝日新聞の記事で本人が語っている。 「人間による虐殺の後には、必ず粘り強く哀悼する人々が生まれます。記憶し、闘争し、最後まで別れを拒否する、『別れを告げない』人々です。人間のたゆみない愛が、どのように人と人をつなげるのか、この小説を通して問いかけたかったのです」 また、訳者の斎藤真理子さんはあとがきの中でこう綴っている。 "これについてハン・ガンは「愛するとは自分の生だけでなく、愛する人の生を同時に生きることだと思います。特に愛する人に祈るとき、自分はここにいるが同時にそこにもいるという状態になるでしょう。切なる心でそれを希求するとき、その状態はおのずと超自然性を帯びてきますよね」と語っていた。 (中略/小説の内容) 誰かの認知がかすみ、記憶が記憶でいられなくなっても、哀悼を終わりにしない。「人間が人間に何をしようが、もう驚きそうにない状態」を通過しても、哀悼を終わりにしない。  哀悼は単に忘却に抗うためでなく、今を生きて未来を作るためにある。" [ 別れを告げない ] ハン・ガン著 斎藤 真理子訳 白水社 p,319 訳者あとがき より抜粋 自分が犯した過ちや悲しみから眼を背けたくなる。また自分自身のなかにある矛盾から、声を出すことを躊躇ってしまうことがある。 ある人がいたことを残すためには、決意する勇気と時間を使う。自分自身でそれをできるひとはいい(そんなひと居ないかも…)。でも他者がそれを担いながら少し先の未来を見つめ続けることは簡単なことじゃない。 すべての生命に寄り添いながら明日を待つことは今の私には到底できそうにない。でも想像はしていたい。 少し話は変わるけど、絵を描くときやひとと生き物に話し掛けるとき恐れずに向き合えうためには自分自身が崩れてまわりと溶け合っ